『華氏911』

今日は3の倍数の日ではないが、気が向いたので特別サービス?



マイケル・ムーア監督による『華氏911
この映画もある一つの意見に立って作られたもの、“映像”は常に客観的であるとは限らず、作り手の意図によって恣意的に操作しうるものである…と、この映画が公開され、話題になった時に思っていたものである。そして当時はあえて観なかった。


先日、『スーパーサイズ・ミー』を観て、体制(=世の中で常識とされているもの、受け入れられているもの、当然と思われていること)批判の精神に富んだ映画のパワーに感心し、今回の『華氏911』を観るに至った。


まずこういう映画自体を作って発表すること自体が可能なアメリカ社会に度量の広さを感じる。日本だとすぐに、「特定の企業を批判したものを製作するのはいかがなものか(『スーパーサイズ・ミー』)」「お上に逆らうとはけしからん(『華氏911』)」的な論議が起こって、「諸事情に配慮を致し、上映を自主的に見合わせていただきました」という、訳のわからない理由で潰されてしまうのがオチなんじゃないか?


さて、余談はさておき、『華氏911』の感想である。前半の率直な感想は、この映画の“主人公”がパパの威光で生きてきた、バカボンボンのドラ息子に見えたことである。経営にかかわる石油会社が傾いても“パパのお友達”によって救われる。


そしてこの一家とサウジの某一家の親密ぶり。パパのお友達も仲良しグループの一員だ。「なーんだ、どう転んだって、彼らお金持達が儲かるようになってるんじゃないか」


先日読んだ、ロバート・キヨサキ氏の本を読んだときも感じたことだが、世の中は「システムを作る側にとって、有利なようにできてしまっている」。そのような中で、一市民はコマの一つに過ぎないとしか見なされていない。「職務に忠実に頑張れ」「責任を果たせ」「規律を守れ」「みんながやってるから」という言葉は、結局は、そういう金持ちたちにとって便利なようにコマを動かすためにもっともらしく使われるフレーズに過ぎない。


話が脱線するが、以前、女性が料理を作ることに対して「みんなやってるんだから」と言われたことがある。しかしそんなことは私には関係ない。要は私がやりたいかどうかが問題なのであって、みんながやってるからといって、何もやりたくないことをやる必要は全くない。これも「みんなやってるから」といって、女であるだけで男に都合よく女をメシ炊き女に成り下がらせるだけの、男社会にとっての都合のいいフレーズに過ぎない。


本当に料理が好きな人はいいが、女性だからみんなが料理好きだなんて、ありえない。
男だから、みんな国語が好きか?数学が好きか?理科が好き?社会科が好き?
ありえないことですよねぇ。

だから女性だから、みんな家庭科が好き、だなんてありえない。


しかも男性がそう言うだけじゃなく、女性も自らそういう風に染まっていこうとしたり(=男にモテるために肉じゃが作りの名人になろうとしたり)、女性自身が周囲の女性にもメシ炊き女に成り下がるよう運動するとは、誠にもって情けないことと恥じなければいけないと思う。そういうこと自体が女性の地位向上の妨げになっていると思う。


話を元に戻して、下院議員のほとんどは法案を読まない、もしいちいち読んでいたら議会が前に進まない、という話に、愛国心溢れるマイケル・ムーア監督が、議会の建物の前に宣伝カーを走らせ、中から条文を読み上げる、という行動には、拍手。徹底している。


拍手の第2弾は、連邦議員535人のうち、自分の子どもが入隊してイラクに送られたのはたった一人という事実に、議員たちにパンフ片手に突撃し、「自ら見本を示されてはどうですか?」と、議員の子どもを入隊させるよう、働きかけるシーンである。


その少し前のシーンで出てきたが、兵士が足りなくなることが予想され、募集官が貧しい地域を回り、勧誘したらしい。非白人の地域も多かったように思う。一方、自由を訴えて民衆の支持に努める当の“主人公”が自ら戦場で戦うことはありえないし、そのお仲間の方々や支持者、戦争で儲かる産業の幹部などは、そのほとんどが“白人のおじさん集団”のような感じだった。


実際に戦場で戦ったり犠牲になるのは貧困層が多く、戦争の開始を決め自らは安全なところに居ながら自由や愛国心を訴えつつ、実はしっかり儲かっている、ますます豊かになるお金持ち達…。そういう構図が浮かび上がってくる気がしてならなかった。


日本もここ数年、貧富の差が拡大してきているようだし、また先の選挙の結果で改憲も時間の問題であるような雰囲気が漂っているし、上記のようなアメリカ社会の追随になってしまうのだろうか、との懸念を感じた。


余談であるが、映画中の兵士の話で、“運転”を行っているような兵士の給料は、イラクに派遣されている民間の同様の業務を行っている人の給料の1/5〜1/3くらいらしい。危険な割には割に合わないようである。


冒頭に書いたように、完全に客観的な映像は存在しない。ある意図に従って順番を変え、取捨選択をすれば、十分恣意的なものを作ることは可能だ。なので、この映画も偏っている、といえば偏っている。この映画を観た上記感想は、私が素直に感じたことである。