『永遠の仔』(四)抱擁

永遠の仔〈4〉抱擁 (幻冬舎文庫)

永遠の仔』(四)抱擁
終盤の、笙一郎が訪れたホームの施設長の言葉が印象的だった。
「生活において、自分達の居場所を整える、家事。次の世代を育ててゆく、子育て。そして、先の世代の死をしっかり看取るという意味での、介護。これをしないでいい人間というのは、本来、子供だけじゃないでしょうか?もちろん生活を支えるために稼ぐことは必要だし、とても大変なことです。でもそれはまだ、居場所を整える家事の半分を担っているだけであって、子育てと介護は、また別です。仕事だけして、よしとするのは、子供が外で遊びに精を出し、家へ帰ると全部母親にまかせていた頃と、似たところがあるんじゃないでしょうか。本当に大人がやるべき、大切で大変な仕事は、さらに子育てと介護を加えたものだと思います。でも、誰もが大人なわけじゃありません。…」

ドキッと反省させられる言葉。だって正直、家事も子育ても介護もしなくて済むならその方がいいもの。

でもそれは私が女性だから。男性だったら「えっ?そんなこと、何でオレがやんなきゃいけないんだよ!」っていう人の方が多いかも。

っていうか、ちょっと前まで、「男は仕事、女は家庭」という「サラリーマン夫、専業主婦、子供2人」が「標準世帯」としてきた日本社会では、男性が家事や子育て、介護をやらなきゃいけないなんて夢にも思わない、そういう事柄はすべて”家族への愛情”という名の元に主婦の”アンペイドワーク”=”ただ働き”ということにしてきた。つまり、女性のただ働きに社会が頼ってきた。上記の施設長のセリフを借りれば、大部分の男性は”子供”でい続けることが許されてきて、女性のみが”大人”になることを強要されてきた、ということでしょう。

実際、「男の人ってプライドがあるから」「男の人は細かいことに気づかないから、女性陣でやってあげなきゃ」っていう言葉がありますが、違うんですよね。どちらも、そうやって、周囲の女性たちが気を使ってあげて、もし実際はそんなにデキなくても男を立ててあげてプライドを守ってあげている、あるいは細かい雑用をしてあげて豪快な仕事に専念できるようにお膳立てしてあげてる、だけなんですよね。そうやって、女性は”大人になる”ことを強要されてきただけ。

もし男性が、女性と同様に家事・子育て・介護をやって、それで、そういうことと仕事を両立させている女性並みに両立ができる男性がどれほどいるのか、かなり怪しいと思う。

女性だって本当はプライドだってあるし、立てて欲しいし、細かいことに振り回されたくないし、権限を与えられた大胆な仕事をしたいんだよ。それを無視して、「女にはどうせ”小さな幸せ”を与えておけばいい」「女は”成功”なんか追求しないだろう」と勝手に決めつけてきただけ。

第一巻:再会、の、梁平の母親のセリフと、第四巻の施設長の上記のセリフは繋がってくると思う。

梁平の母親のセリフ
「結局、この社会は…女に犠牲を強いといて、それが家庭円満の秘訣だなんて、平気でいう世界なんだから。男社会とかいうけど、違う、ガキ社会なのよ。仕事で苦労してるなんて言って、…金や評価を得たり、何かを達成したりすることは誰だって楽しいのよ。…それをさも大変そうなことのように言って、女を母親がわりにするガキばかりがのさばってる。」

今日の花
職場:ガーベラ(黄)、ナデシコ(ピンク)
自宅:バラ(レモネード)/バラ(白)/アストランチア(マヨール)、ブバリア(赤)